心身の健康

中高年がエッセイを書く効用 4 修正版

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エッセイ教室で、落ち着いて自分のエッセイを朗読するシニアの方々を見て、私は、その真反対のようなシニアである「キレる中高年」を思い出してしまったのでした。

でも、エッセイ教室での皆さんの作品に、怒りや空しさのようなネガティブな感情、あるいは自分の情けない姿が書かれていなかったかというと、そんなことはありませんでした。むしろ、美しくてハッピーな話よりも、ほろ苦いテイストの作品の方が多かったと記憶しています。そして、そういった、他者の人生の暗闇をふっと感じさせる作品の方が、ずっと魅力的で、私たち受講生は真剣に聞き入ったものです。

どなたかが、ご自分の作品を読み終えた後「すみません、暗い話で・・・。」とおっしゃいました。すると先生はすかさず「いいえ。私たちは綺麗な話なんて聞きたくないの。そんなのは結婚式のスピーチみたいなもんで、ちっとも面白くないのよ。それよりも、その人の本当の話が聞きたい。」とおっしゃったのです。

そう。私もここが大事だと思います

私たちは多かれ少なかれ、怒りとか空しさ、恨みや嫉みにまみれた自分を、「こんな自分は恥ずかしい」と隠しているのでしょうそして、そういう気持ちをたとえたくさん感じたとしても、必死に我慢して、自分の心の中に押し込めてしまっているのでしょう。それを、何度も何度も、何年も何年も繰り返してオトナになってしまい、ある日心に限界が来てキレてしまう・・・そんなプロセスなのではないでしょうか

怒りや空しさ、嫉妬や恨みを感じること自体は、善し悪しの問題ではないと思うです。感じてしまうのですから、素直に感じればよいと思います。そうして、感じたことを感じたまま書いてみたらいかがでしょう? 書いたら、まず自分が読むことになりますが、その時自分は何を感じるでしょう? 読んだら更に怒りを感じたなら、それについてまた書けばよいと思います。書く事によって、感情は自分の心の外に流れていくことでしょう。もう読みたくない! と思ったら、書いたそばから破り捨てればよいのです。そうすれば、誰も読みません。こんなこと書いて恥ずかしいと思って、きれい事にすり替える必要もなくなりますもし読まれることがあったとしても、私たちはリアルな話に惹かれます。怒りを感じた、嫉妬に狂った、いいじゃないですか。それが人生を生きるってものだと思います。

そう考えると、どの人のどんな内容のエッセイも、ふんふんとうなずきながら聞き、「そうだったのですか。たいへんでしたね。」などとおっしゃり「とてもお上手にかけていらっしゃいますよ。」とふんわりおっしゃっていた先生の態度は、すばらしいとしか言いようが無いのです。

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